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遠藤熊吉翁 西成瀬 西成瀬小学校の歩み
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教育遺産に学び大事にしていこう
職員研修資料(昭和三十五年十二月六日)コトバ週間にちなんで原本より転写
我校言語教育
雄勝郡西成瀬小学校(昭和九・二)
  
A 教育要旨
一.本校は言語教育上平素左の点につき不断の指導矯正に努力する
  1 発音矯正
  2 アクセント
  3 方言訛語の矯正
  4 話しぶり
  5 読みぶり
二.尋一教育の言語教育は基礎教育であるから特に重視完成を期す
三.各教科教授時間中に於ける質疑応答も其の話し方を重視指導する
四.休憩時間中に於いても相互応答の話し方を指導する
五.言語教育矯正主任を置く
六.本校は左の方法により教師の実地練習を施行する
  1 発音講習 毎月一回職員全部実地練習
  2 読方教材読合会 毎月一回開催
各受持にて来週の教材を読み互に批評矯正する
七.本校は話し方教授時間を特設す
   尋四以下   各学年 毎週一時
   尋五以上     毎月一時
八.話し方考査   毎学期施行
  
  
B 話し方教育
一.教材
  1.経験的材料
  2.直観的材料
  3.収得的材料
  4.想像的材料
  5.思想的材料
  6.其の他の材料
二.指導方法
  1.基礎的指導を主とする場合
  2.矯正的指導を主とする場合
  3.練習を主とする場合
  4.聴き方練習を主とする場合
三.方法
  1.対話法
  2.独演法
  3.討論法
四.読方教授より話し方への指導法
  1.朗読法 口語体、文語体すべて話口調に読むこと
朗読反復は有効である
  2.範読 教師一回以上、又児童中より模範をとるも有効
  3.聴取法 本を離れて範読をきかしむ
  4.視取法 イ.方言と標準語との対照表
ロ.使用の誤り易き語句表
ハ.発音の誤り易き語句表
五.各科教授に於て基本言語の練習をなす
  1.修身
    作法
敬語の使用
作法に付帯する応答語
  2.算術 一ッ二ッ三ッの「ツ」又は、一(イチ)四(シ)七(シチ)十(ジュウ)等の正しき発音、其の他術語の発音練習
  3.唱歌 歌詞の発音、口形練習等
  4.体操 番号の唱へ方
  5.国史、地理、理科、家事、手工、裁縫、農業等に於いても術語の発音練習をなす
C 施設要旨
一.朝会
尋四以下 月水金土、尋五以上 月火木土に各学級より一名ずつ輪番に出て、朗読又は話し方をなさしめ主任之が矯正の任に当る。
二.言語の週間
毎月一回施行。日常標準語使用のこととしているも、この週間を特に職員児童注意するものとす。
この週間の実行事項左の如し。
1.教師講話
2.指導案作製
3.児童日誌に記入
4.家庭に通知協力
5.講評 週間最終日
三.全校お話会 毎月一回開催、講評する
四.学級お話会 月一回お話練習会又は発問応答練習会を開く
五.学芸会 年一回、各級より独演又は対話を出演せしむ
六.各級選手朗読会 一学期一回
七.言語調査簿 指導原簿の設備
八.第一校時(自習時)の始め三分間各級に於いて個人(読み、話)一斉への言語練習をなす
 言語教育系統案
  言語教育を通じて行わる生活の表現及表現の指導、祖国愛の意識に基く国語の純美化、言語教育の基調としての生活の深化拡充
区分 低学年(基礎涵養期) 中学年(内容拡充期) 高学年(完成期)
要領 生活体験、自由表現 同 内容の拡充 同 内容の拡充、形式の整備
表現 内容形式共に可及的自由に発表せしむること、生活話語の習得及その生活 平板に流れず、いく分技巧的に内容の整理(順序・話しぶり、抑揚) 表現を洗練して一層効果的に
同 機智的・脈絡貫通
自由(時に課題) 自由、課題
材料 直接的  生活体験
収得的  学習的
同 印象的、感想的、想像的
同 収得的、処生的、学習的
同 抽象的、社会的、思想的
   理論的、収得的、学習的
形式 呼びかけ式
範話により誘導法(教師上級生)
題目による問答法
独演
対話
独演
対話
討論
独演
態度 姿勢、目 同 動作、表情 同 声量、沈着
言語
陶冶
訛音矯正
発音矯正
アクセント矯正
語彙の拡張 語法、修辞の習熟
方言卑語
敬語使用
語尾の明瞭
聴方 内容形式の習得
語いの習得
理解同化より表現へ
同 批判的態度の啓培
読方 言語陶冶
朗読指導 読より話へ
話より様に
話より読へ
生活
指導
生活態度の自覚
内容の受容発展
創造的生活へ
語いの拡充
表現の指導(表現の生活)と生活の表現
備考 言語教育の特殊施設以外他の凡ゆる機会を利用し、又、他の凡ゆる教科との連絡統合を図ること
生活指導としての言語教育と国語問題
一.生活表現と言語教育
 言語教育は、教育なるが故に教育の本質から、それが言語の教育なるが故に言語の本質から、而して吾々に於て、言語教育が国語教育なる限り国語の本質から考察されなければならない。
 言語教育は、初め言語ありからではなく、初め行動あり、生活ありから出発しなければならない。従って、言語教育は、生活表現としての言語活動、言語生活の指導であり、究竟は生活指導に溯らねばならない。然しながら、表現の指導と生活の指導とは必ずしも別箇のものではない。言語教育に於ける生活指導は勿論、種々の方面から考えることが出来るが、本来表現そのものが既に生活の根本的な想そのものであるから表現を指導することは取りも直さず一のしかも根本的な生活指導に他ならない。従って、言語教育は生活に始まり生活の問題に終ると言っても過言ではない。故に言語教育は、抽象的な言語指導に甘んずべきではなく、具体的な言語活動言語生活の積極的指導に努力すべきことも自ら了解されるであろう。
 生活は便宜上、内容と表現の二面に大別して考察することが出来る。表現欲に出来る丈多くの機会を与え而かもその表現を積極的に且つ具案的に啓培しなければならない。されば、言語教育は児童を一般に自律的生活に導くと共に、自律的にして創意ある表現にまで進めねばならない。
 言語生活の原始的、根源的な姿は、音声による表現にあり、口頭による言語は、文字による表現即ち文章に先行する。一般に書き綴る生活の前に読む生活があり、話す生活は読む生活に先行する。言語本然の姿は、元来、話、即ち音声による言語表現にあるが故に、音声による言語活動、言語生活の陶冶は必然、読み方、綴方に先んじ、且つ、それらの根底をなすべきものと言わねばならない。此の意味に於て、真の言語教育は、話方即ち一層的確に言えば、生活の自由表現としての話し方に於て実現し得られると言い得べく、而して斯の如き表現科としての話し方は、言語教育の核心として爾余のものに対し、それ自身の独立的表現領域を主張し且つその地位を確保しなければならない。




 教育が常に、児童の生活全体を考慮しなければならない様に言語教育も亦、常に児童の生活全体を考慮しなければならない。近時特に、社会的生活が学校内に導き入れられることが多く、人間の本質活動としての作業、労作が重視せられる喜ぶべき機運にあるとすれば、これらと雁行して言語教育は生活の本質から見て益々重視せられねばならない。

二.言語教育と国語問題
 学習作業一般的に言えば、児童の生活の深化と共に言語活動の指導を図るのが言語教育の任務ではあるが、言語教育は更に国語教育として、祖国の言語を愛し、国語を改善し行く自覚の下に於て、実施せらるべきを忘れてはならない。即ち言語教育は、本来生活の表現を目的とするものであり、更に国民文化と関連し国語統一、国語愛、国語浄化の見地のもとに考えられなければならない。文化の開発が単に時代の潮流に委すべからざる様に言語問題、国語問題も亦、時代の風潮に任すべきではない。国語は、意識的に批判的に改善し純化し行く国民的努力に俟って初めて正しい発達が期せられる。
 文化の問題が国民全体の問題であるように国語の問題は国民全般の緊急問題である。児童に対し、積極的に言語陶冶を課するのは、一面国語愛に覚醒せしめ、国民文化としての自覚と責務とを喚起せんが為であって、単り児童としてのみの言語陶冶に終始するものではない。されば言語教育の厳正を期するのも言語問題が自然の推移に任せることの出来ないことから結論せられることであって、卑近な一、二の方便功利のためではない。
 乍併、国語統一は国民的自覚と努力に據るべきもの極めて多いのであるけれ共、一面唯一の標準語の流通は、文化生活に於ける力強き底流として、一の必然性を有することを見得べく此の言語生活の必然性は標準語の公布を一層容易ならしめることは疑を容れない。乍併、此の必然性にも拘らずなお吾々が標準語の弘通を図らんとするのは依然国語が統一的なるのみならず、正しき美しき国語たるべきことを一般に徹底させたいからである。勿論、此所に於てもなお与えられた言語生活と標準語との関係を如何に処理すべきか等、既に論じ古されたのであるが、なお考慮すべき根本問題が伏在していると言わねばならない。
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