ことば調査報告
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西成瀬小学校卒業生へのインタビュー(2)
語り手: 見田秀雄氏 (以下、見田) S.12卒業
  佐藤惣九郎氏(以下、佐藤) S.13卒業
聞き手: 菊地 悟 (以下、菊地)
  武田 拓 (以下、武田)
調査風景

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菊地: 本日いらっしゃっていただいた趣旨ですけども、遠藤熊吉先生がいらっしゃった当時の西成瀬小学校での言葉の指導、これをですね、なんとか皆さんのお話から再現しようというのが目的なので、そのへんのことを中心に思い出話を聞かせていただければと思います。……見田さんは、名簿見ますと昭和12年のご卒業ですね。
見田: そうです。
菊地: 当時、ここに名簿がありますけど、たとえば言葉の指導をどの先生に習ったか、ちょっと教えていただければ……これを参考に。
菊地: (佐藤に)13年のご卒業ですね。
佐藤: だと思いますよ。それに書いてあれば。
菊地: 佐藤さんは、先生は何という先生か、これを見ておわかりになりますか。
佐藤: 1年生のときは遠藤熊吉。
菊地: はあ、1年生の時に……見田さんは。
見田: やはり1年生は遠藤熊吉先生です。
菊地: 遠藤先生の授業の中で、話し言葉のことでほめられた記憶は何かありませんか。
佐藤: 私も?
菊地: はい。お二人とも。
佐藤: ほとんどないです、私。ただ、先生にはほめられたことはないけれど、昭和15年に東京に出て「どこだ」って聞かれて「秋田だ」って言うと、「嘘ついてんだろう」って、そういうことを言われました。
武田: 言葉は標準語だったんですか。
佐藤: 逆に、茨城の人は「イ」を「エ」と発音できないんだ。それから、東京衆は「ヒ」を「シ」としか発言……今でも、天気予報のアナウンスなんか見てると、そういう感じしますよ。「高気圧はシガシに向かって」と、こうやるんだ。気を付けて聞いてください。あるいは、どこ行っても私「秋田じゃないだろ。」「嘘つけ。」なんて言われて。
菊地: それはかなり、うれしかったですか。そう言われると。
佐藤: 当時はやっぱり方言という、ズーズー弁ということで、貧乏な時代に東京へいったりなんかしたときの話を聞くとね、まあみじめな思いをしたということだったんで、地元の人よりも私、発音がきれいだって、当時はね、そういうあれだったから、都合の悪い想いは全然しなかったです。
菊地: 見田さんは遠藤熊吉先生から言葉のことでほめられたことなんかはありますか。
見田: そんな、ほめられたということはなかったども、まず基本ていうか、「ク」とか「キ」とかいうことを、大変によく教えられました。……ていうことは、私の地主さんであったんす、先生のうちが。それで父が冬にそりに小作米を乗せて持って行くときついて行き、そういうときに「ちょっとその言葉こうだよ」。そんなことがあった。
菊地: 逆に、ほめられたんじゃなくて、叱られたとか直されたとかなどの記憶は。今の例もありますけど、他に佐藤さんは何か。
佐藤: 叱るというのではなく、注意ですね。全然、叱るというような感じでなく、注意だね。
菊地: やさしく。
佐藤: やさしいわけでもない(笑)。あの当時、男の先生なんたら。そんなにニコニコしてる先生なんていねえもんな(笑)。
菊地: そのころ、具体的に、まあ小学校1年生のころのことだからそんなには覚えてないかもしれませんけれど、何かこういうやり方で教えてくれたという思い出はありますでしょうか。
佐藤: 口の中に指入れられて、舌こう……「ラ」はここ、「ル」はここ……舌こう、RとLみたいな感じで……あれタバコ臭くていやだったな(笑)……こうして口に入れんの。……つかんで、こうね。「ラ」はここ、「ル」はここ、って舌の先こうやられた記憶はあります。
菊地: 舌を指で。
佐藤: つかんで、こう。
菊地: 舌をつかんで。
佐藤: あれはいい感じしなかったよ(笑)。タバコ吸ってた時でタバコ臭かったの(笑)。
菊地: 見田さんは何か、そういう。
見田: よく壇上に上がって二人して対話するの。今度はこれ、こんだと対話の内容を両方に話しさせておいて、それを二人で話させて、その内容を総括して、ここがこんだ、こんだということ。
菊地: そのときの対話は教科書とかにあるものなんでしょうか。それとも自然に、昨日あったこととか。
見田: 自然に、朝からの、今日は何しましたかとか、そして一日のこと、こう。そうして最後には、その相手の人が非常に唱歌が上手な方で、最後にはその人に「あなたは唱歌が大変上手でしたから一つ歌って聞かせてください」っていうようなことがあって、そうするとその人が。そんなことをやったことがあります。
菊地: あと、実物を見せて、これはこれ、これはこれ、とかいうのもありましたか。
見田: まず、石とか。いろいろ石。それから、タバコもあったかな。昔は刻みタバコがごそっとあったの。「なでしこ」とか、そういうタバコの名前をはっきり言え、標準語でって。「はぎ」とか「なでしこ」だっていう昔、小さい紙箱に入れて売っていたもんな。これは何のタバコだって。
菊地: なるほど。じゃあほんとにいろんな身近な物を使って。……先生は、標準語と方言とかについては何か、1年生の皆さんにはおっしゃってましたか。
見田: あと、標準語ということだったか、私たちが前、兵隊に行った方が大変にこう「秋田県のかたにない」とか言われるっていう、そういうことの。だれそれっていうかたの名前を言って、そうしてまずこう説明して、そうしてまず勉強して、言葉をよく勉強すればどこに行ってもいいんだって、まず。
菊地: 先生がそうおっしゃった?
見田: ああ。兵隊に行ったかたがそう言って、まず、便りにもよこしてやったんだすな。東京のあれ、近衛に行ったかたとか太政に行ったかたが、言葉には苦労しないっていう。
武田: 4歳とか5歳の頃までは「イシ」も「イス」も区別なかったわけですよね、おうちでは。小学校に上がって実は違うんだって事を初めて教わったときって、びっくりしました?
見田: そうですね。ええ。……まず私たち相手の遠藤先生っていえばそのようなもんで、それが普通の授業だと思ったけれども、まず1年しか習わないんだから、今度すぐに女の先生とこう、替わって6年までいるしな。3人に替わってるんだから、やはりその先生は、やはり基本ていうか、そんなこと教わってよかったなあと。
菊地: 佐藤さんの方は、遠藤先生の指導のやり方で何か他に覚えていることは。口に入れること以外では。
佐藤: 先生の、今考えてみると、方言を卑しむべきものだと思っていたかどうかはわからないけれども、ただ「外部に出て君たちが言葉で苦労しないように」という熱意は、きちんと子供にも伝わってきました。それはずっと今もそう思っておりますし、あの当時から、「おまえらが困らないように」という熱意のもとだったと。
菊地: だいぶ卒業してからたちますので、どうかと思いますけど、たとえばその時代の作文とか、そういうものは。
見田: (笑)
佐藤: ないですね。
菊地: 戦争があったし……ないですか。そういうのがどこからか出てくると「ああ、ほんとにこういうことやってたんだな」とわかるんですけど。ああ、そうですか。
佐藤: 「ハナ ハト マメ マス」でした。
菊地: ああ、そういう教科書で。
佐藤: 私の次からは「サイタ サイタ」。
菊地: ああ、そういう教科書の他に何かプリントとか。ガリ版とか……があったかなあ。
佐藤: ない。何にもないですね。
菊地: ああ、そうですか。大体、実物とかでご指導を。
見田: うん。
菊地: ところで、吉乃鉱山ありましたね。見田さんと佐藤さんは,そちらの関係で来たわけではないですね。
見田: 私は土着で卒業してから吉乃鉱山で十何年働きました。農業しながら。
菊地: それはもちろん卒業してからですよね。
見田: はい。
菊地: それ以前、小学校に入る前にどこからか来たというわけではなくて。
見田: はい。
菊地: 生まれはやはり。
見田: はい、土着。
菊地: 佐藤さんも吉乃鉱山のために、ではないですね。
佐藤: 土着です。
菊地: 吉乃鉱山の関係で移ってきた子供たちは、やっぱりクラスにはかなりいましたか。
見田: 大変よけいいたった[=とても大勢いた]。
佐藤: 半分以上、いたでしょう。半分以上だったですね。……最高の時はここで650人もいたんでしょ。
菊地: はあ、最高のときにですね……そのころ、吉乃鉱山の方の同級生の言葉で、何か自分たちと違うというふうなこと、感じましたか。
佐藤: みんな、あの(笑)同じ言葉で。
菊地: 同じ言葉と。
見田: うん。
菊地: 特に、あっちは標準語だとかそういうことはなくて、みんな大体同じように。
佐藤: うん、方言で話ししてました。
菊地: 方言で。彼らも。
佐藤: 普段はね。
菊地: 普段、方言で。
佐藤: 先生に見つかると直されたって(笑)
菊地: なるほどねぇ。
武田: 先生は学校内では標準語しゃべるようにという話。
佐藤: ええ。
菊地: みなさんも、学校の中では標準語で。じゃあ、どこから普通の方言に?
佐藤: 教室出りゃあ、そりゃ。
見田: (笑)
菊地: 教室出たら(笑)
見田: (笑)
佐藤: ごっただなあ。
武田: 橋を渡ると変わった生活、と聞くんですが本当でしょうか。
佐藤: でも、教室出て、ちょうどここ体操場だなあ、ここはなあ、体操場でワーって言ってるときは、標準語もへったくれもないよ。
菊地: 先生の見てないところなら?
見田: うん、ええ。
佐藤: もう、ぶつかってしょうがねえんだもん、子供たちいっぱいいて。
菊地: あーあ。
佐藤: わああって音がして、どうにもなんないんだもん。
菊地: にぎやかだったでしょうねえ。……もちろんおうちでも。まず家族に標準語使ったことは。
佐藤: 方言。
菊地: おうちで教科書を読むときなんかは?
佐藤: それはあの、当たり前の声、っていうか習った声でやった。
見田: うん。
菊地: その当時、西成瀬の皆さんと、たとえば亀田とか、他の近くの地区の子供たちと、ああ、言葉が違うなあと思うようなことはありましたか。
佐藤: 遊んでいるときはどこも同じですよ。
武田: 亀田の部落の子供達もおんなじ?
佐藤: 同じです。
菊地: 何か地区と地区の交流みたいな、お互い前に出て話すようなこととか。
佐藤: 交流なんてなかったよ。
見田: なかったなあ。
菊地: 標準語とか共通語とかで一番お手本にしたのは、何だったでしょうか。
佐藤: 教科書でしょ、やっぱり。
菊地: 教科書。
見田: うん。
佐藤: 国語の本。なんちゅった……「読方」って言ったかな。
菊地: それを先生が読むのを真似して?
佐藤: やっぱり今考えてみると、遠藤先生の言葉は非常にきれいだったです。
菊地: ……秋田弁をこれからも残しておきたいと思いますか。
見田: うーん。
佐藤: 特別、生活にどうっちゅことはないから、今までどおりで話ししてって差し支えないなあと思います。向こう行ったときはちゃんと向こうの言葉っちゅうものがあり(笑)、恥ずかしくないように使える自信がありますからね。……いや、特別、いわゆる共通語だの東京語だの方言だの標準語なんて言う必要がないと思います。……今思い出したけれど、遠藤先生いつかほんとに共通語にない京都の言葉がこちらに流入してきてるんだっていう、その当時、内海、今考えてみるとね、内海航路でこう、向こうの人達往復してるんだから、たとえば「山さ行く」と「川さ行く」「田んぼさ行く」、この「さ」と言うのはね、私も未だに眉唾なんだけれども、京都では「山さん行く」と「さん」という言葉を使っているんだということを(笑)遠藤先生がそう言ったのを、私、記憶あります。……「さん」を付ける。「山さん行く」、「山さん」。それが、「ん」がなくなって「山さ行く」「どさ行く」と、こう言うようになる。……ほんとかどうか、確かめてください(笑)。
菊地: 同じようなことを?
見田: ええ。
菊地: 聞いた?
見田: はい。
菊地: 1年生でそういうことを聞いて未だに覚えてらっしゃるというのは……
佐藤: いや、京都の文化がずっとこっちへ入ってきてるっていうような感じ。今にして思えばね。たとえば先だって終わったったけれども西馬音内の盆踊りね。ああいうのをみると、出ているところは襟首と手首と足首だけでしょ。動きそのものも、腰振るわけでもないし、足上げるわけでもないし、エライヤッチャエライヤッチャっていうようなにぎやかなことじゃないし、静かな踊りだけれども、あれの中に私は、非常な色気を感じるわけです。へそ出して踊るよりもね。ですから、そういうことを考えると、あるいは……合歓の花のように、耳に柔らかい言葉が来て、そういうような文化が西馬音内あたりに根付いていったんだろうなあ、というような(笑)感じは、今思ってます。これまでは、西馬音内盆踊りだって、あれオバコナアちゅったってあれ、エンヤトットでもないしね、静かなもんだと思うけれども、こことこことここしか出てないのにとっても優雅な感じがするもんだなあ。あれ、不思議だと思うよ。仙台を越えてきた文化とはまた違うんじゃないかと思ってんです。
菊地: とにかくそのような、スケールの大きなことまで、言葉に関してだけども教えてくれたと。
佐藤: 私の、自分の考え方、間違っていると思いますけれども、今そういうような感じしてます。……やっぱり京都の方に、北前船でもねえだろうが、船で、荷物積んで、こちらから行って、向こうからいいもの取ってきて、交流は確かにあったと思いますし、その方言であっても、いろいろな本を見ると、いわゆる日本語というのは、ウラル・アルタイ語系で、そしてずっと分かれたとは言うが、実際にシベリアの方からナウマン象を追って来た人種と、それとその言葉とね、ロシアの言葉と、百済から来た朝鮮の言葉と、本来あった縄文人の言葉と、混ざってアイヌの言葉になったりなんかしてるんだから。それは、そういう成り立ちのある部分は秋田の方言になっているんだろうから、特別矯正する必要もないし、やっぱり、東京へ行ってもどこ行っても不便を感じなかったらそれでいい、と思います。
菊地: 実用的に。……しかし、それにしても随分言葉のことに造詣が。それも、もしかすると遠藤先生の影響があるんでしょうか。
佐藤: いや(笑)。働きたくないもんだから本ばかり読んでる。そうすると誰でもわかる。
菊地: ……そうすると、秋田弁と共通語なんてのを使い分けるっていうのは、もう造作も無い?
見田: ええ。そうです。
菊地: だから、普通のことで特に難しいとか、そういうことは感じない?
佐藤: 私は感じません。
見田: うん。そうかな。
佐藤: ただ、今はもう学校に来ることないけれども、自分の子供が小学校なんかに行って、やっぱりここの特色は言語だと、発音だということで、名札なんか下げてね、やってる人の言葉っていうと、俺達の時とは随分質が違うなあと。下がったちゅう意味かどうかはわかんねえ(笑)。まあ、そう言うと差し障りがあるからね。言われないけれども。……そういうことは、ずっと感じてました。
【文字化:菊地悟】
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