インフォーマントと主な質問項目は、以下のようなものである。
A 西成瀬小学校で教鞭を執った旧教員:4グループ計9名
(1) |
在職されたのはいつか。 |
(2) |
赴任前、西成瀬小という学校はどのような学校であったと聞いていたか。そして、実際に赴任してみてどういう学校(話しことばや話しぶりに関する、子どもたちの実態、保護者のニーズ、地域全体の特徴など)であったか。 |
(3) |
それまで赴任した学校と比べて西成瀬小の「話しことば教育」はどんな特徴(使う教材、指導法、時間割、年間カリキュラム、教師の指導体制、など)があったか。(指導の実際について具体的にお答えいただくように導く)。それを当時どのように感じたかそして、そうした指導をしてきたことを今の時点でどのように思うか。 |
(4) |
当時のもの(たとえば、教科書、教材集、文集、プリント、など)で、今もご自宅に残っているものはあるか。 |
(5) |
【戦前の教師のみ対象】ところで、他地域から移住してきた「吉乃鉱山」関係の移住者(大人、子ども)と西成瀬地区に昔から定住してきた大人、子どもとで、話しことばや話しぶりなどに違いを感じたことはあったか。 |
(6) |
西成瀬小での「話しことば指導」の内容や方法は、かならずしも他の地域や秋田県全域に広まっていくものにはならなかった。それはなぜだと思うか。 |
B 西成瀬小学校卒業生:11グループ計26名
(1) |
いつの卒業生か、当時の先生は誰だったか。 |
(2) |
先生から「話しことば」のことで、ほめられたことや注意されたこと(しかられたり直されたこと)などには、どんなことがあったか(指導の実際について具体的にお答えいただくように導く)。それを当時どのように感じたか。 |
(3) |
小学校時代のもの(たとえば、教科書、ノート、文集など)で、ご自宅に残っているものはあるか。 |
(4-1) |
【戦前の学習者のみ対象】ところで、あなたは「吉乃鉱山」関係の移住者、もしくは移住者の子孫か。そうだとすれば、どこから西成瀬地区に移住してきたのか。 |
(4-2) |
【戦前の学習者のみ対象】そうでないとすれば、「吉乃鉱山」関係の移住者との関わりはあったか。クラスにそうした移住者はいたか。彼らの話すことばや彼らの話しぶり(態度)などで、自分たちと違うことや印象に残っていることなどはあったか。 |
(5) |
当時(子どものころ)、西成瀬地区で暮らす自分たちは、他の地区と比べてたとえば言葉づかいなどで何か違いを感じることはあったか。 |
(6) |
大人になり社会に出て、自分たちの言葉づかいは他の地域の人たちと比べてどんな違いがあると感じたか。 |
(7) |
あなたが話す「共通語」のお手本は何だったと思うか。 |
(8) |
「秋田弁」を後世に残しておきたいと思うか。 |
(9) |
「秋田弁」と「共通語」という二つの言葉を使い分けることをあなたはどうに感じるか。 |
C 遠藤熊吉の縁者:お孫さんの遠藤博通氏
(1) |
祖父遠藤熊吉の思い出。 |
(2) |
西成瀬小での思い出。 |
(3) |
吉乃鉱山の関係者に関する思い出。 |
(4) |
小学校卒業以降に感じた祖父熊吉もしくは西成瀬小での教育の影響。 |
ここに掲載するインタビューは、Aから3グループ、Bから5グループ、そして遠藤熊吉のお孫さんである遠藤博通氏のものである。なお、Aの最初のグループは文字化と映像(抜粋)、それ以外のグループは文字化と音声(抜粋)を掲載する。
インタビューの文字化資料の作成は、各文字化担当者が一次原稿を作成したのち、インフォーマント自身に内容の確認をお願いし、文言の追加・削除等の修正を行った。さらに、インタビューの趣旨とは無関係な話題や個人情報、内容的に整合性を欠く箇所などを適宜削除・調整し、話しことば特有の表現(あいづち、言いよどみ、繰り返し、省略など)を整えるなどの作業を施してある。したがって、音声サンプルと文字化の文言は、必ずしも正確には対応していない。以上は、すべて編集責任者の判断によって行った。