西成瀬小学校卒業生へのインタビュー(4)
語り手:
高橋正一氏 (以下、高橋)
S.19卒業
佐々木一郎氏(以下、佐々木)
S.20卒業
聞き手:
菊地 悟 (以下、菊地)
武田 拓 (以下、武田)
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菊地:
それではさっそくなんですが、まずこれは御覧になったことがありますか。これには、皆様の卒業生名簿と教職員の名簿がありますけども、在学していらっしゃったのが……卒業が17年、18年ということですから、該当する先生もこのへんにいらっしゃると思いますけども……ことばの授業なんかに関しては、何ていう先生に。
佐々木:
ことばの先生? 遠藤先生でなくて?
菊地:
まず、遠藤先生には教わりましたか。
佐々木:
ええ。
高橋:
はい。
佐々木:
遠藤先生には教わってます。
菊地:
いつ、何学年で。
佐々木:
あれは、担任ではなかったんだな。
高橋:
うん。
佐々木:
担任ではなかったけども。
高橋:
定年になってから、月に何回か来て。
菊地:
それは国語の時間とかですか。それとも、ことばの時間とか。
高橋:
まあ4年生の時期、それしか記憶ねえども、アイウエオのな、のどで「ウー」だとかよ(笑)そういうこと繰り返されたことはあるすな。それぐらいで、別に(笑)
佐々木:
国民学校になるまでは記憶あるんですが……国民学校ってなると、もう戦争が入っちゃってるから、17年、17年かな、その開戦した当時は。その当時からあんまり来なくなったんでねえのかなあ。我々も3年生か4年生あたりまでは習ったような記憶あっども、それ以降ちょっと……高橋さん、あるか?
高橋:
おれ、やっぱり4年生の時期しか記憶ねえすな。……だども和春さんだの習ったって言うから。
佐々木:
あれは、時々呼んで、そしてあれなんだよな。その時はもうすでに晩年であった、あの人がた晩年であった。要するに毎週とか毎月とかいうのではなかった。
高橋:
うんうんうん。
菊地:
じゃあ普段の国語の時間は、他の先生に。
高橋:
はい。
佐々木:
そうすね。
菊地:
じゃあその普通の国語の時間と、遠藤先生がいらして教える時間での大きな違いとかありましたか。
佐々木:
それ、私の記憶で一つあります。それは、いわゆる対話ということで、クラスから男一人、女一人を選ばれて、前の壇に二人がこう、向き合って座るの、そして、何でもいいから話をしろ、って。何でもいいから。
菊地:
何でもいいからと。その時間なんかは?
佐々木:
それは適当だったんでないでしょうか。そっちを聞きながら遠藤先生が、結局その。
菊地:
頃合いだと、いうころに。
佐々木:
うん。それで、何でもいいからって言うと、ちょっと話の接ぎ穂がないわけで、そしたら「それでは、今朝うちを出てから学校に着くまでの間、どういうことがあったか、何か目に付いたことがあるか、そういうことがあったら話ししなさい」と。
菊地:
だいたいそういう、結局何でもいいからでいきなりではなくて、先生からそういうヒントが出てから、やっと始まるみたいな感じでしょうか。
佐々木:
そしてそれを黙って聞いてて、その後からだな。問題はその後なんだ。どこそこの発音がそうじゃなかったとか、なんとかかんとかって、そういうふうな……発音だけじゃなくて、やっぱりそう、目に触れたことを素直に浮かべて話をしろっていう、そういうふうなあれはあったですな。
菊地:
発音だけではなくて、言葉遣いとかそういうことは?
佐々木:
うーん、言葉遣いかー。
菊地:
これは少し乱暴だとか。
佐々木:
そういう……むしろその子が正直に話してるかどうかってふうなことをやっぱり。……だから嘘をついたときは絶対。
高橋:
姿勢のいい先生ですよ。そういうことを注意されたり。
菊地:
ああ、猫背とか。
高橋:
ああ(笑)
菊地:
まずちゃんと背筋を伸ばせと。
高橋:
うん。
菊地:
前に出された経験はありますか。
佐々木:
私、1回あります。
菊地:
たとえば、ほめられたこととか、まあそれに限らなくてもいいですけども。遠藤先生からことばでほめられたことなんか。
佐々木:
いやあ……。
高橋:
(笑)
佐々木:
ありません(笑)
高橋:
ありません(笑)
佐々木:
あの先生は、ほめない先生で。
菊地:
ほめない先生。
高橋:
(笑)
佐々木:
ほめないけど、ほめられた人も何人かいるかもしれないね。
高橋:
その、話できてあたりめえ、先生にすれば(笑)
菊地:
逆に、ほめられるんじゃなくて、注意されたこと。
佐々木:
そりゃ、たくさんあります。(笑)
菊地:
どんな? たとえば。
佐々木:
だから、あの……朝、登校してくる時に、向こうから遠藤先生が歩いてくると、みんな一様にこう、やっぱりしゅんとなってしまうっていう。
菊地:
そんな、やっぱり怖いんですか。
佐々木:
やっぱり、誰もこう、当てられないように(笑)視線を防いでしまうとか(笑)
高橋:
(笑)
佐々木:
捕まらないようにね。
菊地:
授業中だけじゃなくて、道を歩いていても?
佐々木:
ちょっと聞いてみる。必ずその群れの中から一人、言われんの(笑)
菊地:
ということは、そういう日常の、教室以外でも。
佐々木:
うん。
菊地:
指導があるんですね。
高橋:
ああ。
佐々木:
そして、ポケットからな。石を出して「これ、なんですか」ってやるの。
高橋:
うーん。
菊地:
普段からそれを
佐々木:
それがいやで(笑)
高橋:
(笑)
佐々木:
できれば、うん。
武田:
それが石だったりタバコだったりするんですか。
佐々木:
いや、それはねえ。
武田:
「これはなんですか」って言うのは。
佐々木:
石だけ。石。訛ればね、椅子にもなるし。どこまでもその「イシ」っていう発音ができるまでやっぱり。
菊地:
できるまで。何度も、反復して。
佐々木:
やらせて、うん。……それも、口中に指を入れて。
武田:
たばこくさくて、やだったとか。
佐々木:
そういう思い出がある人はたくさんいると思うんです。しょっぱい指……舌の位置がこっちだとか、こっちだとか。……やられましたな。何回かあったんです。
菊地:
そういう、実物を見せるというのは一つの特徴だったと聞くんですけども、他にですね。必ずイシとイスの話は出てきますけど、その他では何か熱心に指導してたなあってのはないでしょうか。
佐々木:
やっぱり、話にしても、発音の舌の位置、口の開き方、そういうものは徹底してやったけどね。
菊地:
そういうので、たとえば口の断面図みたいなの書いて、「こう、君発音した」とか図で説明したとかいうことはないですか。
高橋:
それは、ないね。
佐々木:
それはないなあ。だからそう、みんなにやらせてて、大体わかるんじゃないかあ。口の開き方で、その子が正確な発音してるかどうかっていうことはわかるんだ。だから、だれそれ来いって壇上に呼んで、おもむろにまた指を突っ込んで、そしてこう。矯正するってこと。
菊地:
それは男の子でも女の子でも。
佐々木:
女の子でもかまわない。
菊地:
女の子はいやがったり。
佐々木:
(笑)
高橋:
(笑)
菊地:
……たとえば、方言と標準語との区別とか、標準語とはこういうものだ、秋田の方言とはこういうものだ、とかいうような、そんなお話はあったでしょうか。
佐々木:
……いやぁ……そこまでなかったな。……粗末だけど、教科書ってものがあったからな、その教科書の内容を標準語だと思って、我々もいたし、それをその、いわゆる、発音よくやってれば遠藤先生は別にさほど言わなかったと思うな。
菊地:
教科書の朗読のときに正しいかどうかと。……逆に、秋田方言は大事にしなさいとか、自分たちの言葉は大事にしなさいとか、そういうような話はなかったでしょうか。
高橋:
とにかく自分は標準語しかしゃべんねえもんだからっすよ……方言とかなんやなんてしゃべんねえ人だった(笑)
佐々木:
あれ、うちにもそういう標準語でいたのかな。
高橋:
うん。だから
菊地:
うちでも?
高橋:
朝早く自転車で歩いて苗代さ落ちたときなば「はっこい」って言ったとかってよ(笑)話しあるもんだ。
佐々木:
方言で?(笑)
高橋:
(笑)そのとき初めて部落の人達も聞いたっていうぐらいよ。
菊地:
本当は元々、遠藤先生も方言をしゃべる人だったはずだと。
高橋:
うん。だと思うどもな。ここさ生まれた人だべからな。
佐々木:
毅然たるもんだったな、あの人は。
菊地:
……そんなに、みなさんがすれ違うときに目を伏せるぐらいだけども、手を突っ込まれたりすることはともかく、話すことに関してはあんまりためらわないようになったでしょうか。
佐々木:
遠藤先生との対話の時ですか。
菊地:
ええ。
佐々木:
そりゃやっぱり1対1になれば、やっぱり言わないわけにもいかないし(笑)それはやっぱり口が重くても開かなきゃだめだってのがあったしな。
菊地:
遠藤先生の印象としては、厳しかったですか?
佐々木:
うん、やっぱり風貌が、本当に昔の教師というな、感じの人であったから。
菊地:
でも、その、厳しさだけじゃない、何かを感じたとか。
佐々木:
うーん……。
高橋:
うん。
佐々木:
そこまではちょっと。
高橋:
まず、普通の先生と違うっていうような感じ、子供たちみんな持ったんじゃねえかな。
佐々木:
徹底的に標準語を言う先生なんていなかったから。
菊地:
他の先生はみな秋田弁を使っているような。
高橋:
まず(笑)
佐々木:
他の先生方がほれ、異動で来るときに、西成瀬小学校に辞令もらうと「こりゃしまったなあ」と思ったなんて話があるんです。
高橋:
うん。
菊地:
それは遠藤先生に。
高橋:
先生自身勉強すねばできねえっていう。
佐々木:
先生の方が戦々恐々として。
武田:
他の先生方も標準語で授業してたんですか。
佐々木:
そうです。
高橋:
うん、それは。うん
佐々木:
だんだんにそれがね、国民学校になって、戦時下になればだんだんに崩れてきて、先生方は物を教えるっていうよりも、結局はおどして生徒を誘導していかないといけねえ世の中だったんだから、標準語でいちいちなんてやってられねえ。
菊地:
そのころに、小学校3、4年生までに、何か遠藤先生の授業のあとが残っているノートとか、そういうものなんかがずっととってあるとか。
高橋:
ありません。
菊地:
じゃあやっぱり、指の味とか。
佐々木:
塩っ辛い指の味はまだ忘れない。
高橋:
(笑)
菊地:
……お二方は、吉乃鉱山の関係で移ってきたわけではないですよね。
高橋:
ああ、違うす。
佐々木:
我々は土着ですね。
菊地:
当時、吉乃鉱山の関係の人達は同級生とかには。
佐々木:
たくさんおりました。
菊地:
たくさん。何割ぐらいとか。
佐々木:
……4、5割いたんでないか。……半分半分。
高橋:
半々だかもわかんねえな。……だから、あの人たちは遠くから来るから、言葉は比較的いかったすな、んだから、我々もそれさついてっていいわな。
菊地:
じゃあその人たちの言葉を。
高橋:
うん。ある程度ここで生まれた人達よりもよ、やっぱりほら、えれえ人の子供たちがよけいであったからな。鉱山の親方の子供たちがよ(笑)、多かったからよ。その人たちがまずな、言葉がいかったから、それさもう(笑)。それでいがったんでねかな、まず。習ったっていうよりも。
菊地:
普段話する中で、自然と習うような。
高橋:
うん。自然と、その。同級生のな。
佐々木:
やっぱりそれはけっこうあったすな、やっぱりな。
高橋:
鉱山だって、みなみな言葉がいいわけではねえども。
菊地:
遠藤先生は、壇の上とかに吉乃鉱山の子供たちを選んで立たせるなんてことはしなかったんですか。
佐々木:
しなかったす。
高橋:
ない。ない。
菊地:
そうでなくて、まったく機会は均等に。取り立ててっていうことはないんですね。もし、そういう悪い言葉の方を遠藤先生の前で使ったりしたら、叱られたでしょうか。
佐々木:
そりゃあ、叱るべなあ。遠藤先生は。
高橋:
(笑)
佐々木:
使わないように使わないようにするもんだけどやっぱり。あの先生は怖い先生だってことは、みんなわかってるから。
菊地:
叱るというより、怒るというようなことは特にないんですか。
佐々木:
それは……そういうことは……。
高橋:
怒られたことはないった気がする。
佐々木:
やっぱり、やり方が、話のしかたが、発音がこうだとかなんとかって。「おまえはそれじゃダメだよ」なんてことも言われたことがないですね。
菊地:
逆に、何度言わされてもうまくいかなくて、泣いちゃった子なんかは?
佐々木:
そりゃね、当時はね、分校がありまして、ここの。湯野沢ってとこの部落なんですけど。……3年生までの分校があったんですよね。それで、4年生になると、転校して来るんだね。その人がね、とことんまた発音悪いし。
高橋:
(笑)悪かったな。うん。うん。
佐々木:
そしてその分校の先生というのが、やっぱり中年の先生、それも土地の先生でね、なんでも方言の先生(笑)
高橋:
(笑)
佐々木:
だから、そういう先生から習ってくるもんだから、もう……。しばらく遠藤先生もその人がたを教えるには苦労したと思う。(笑)やっぱり、泣いていましたよ。なんぼしてもその、発音ができなくて。
菊地:
でもそういうときやっぱり先生は優しい目で?
佐々木:
うん、やっぱりそれは。だってやっぱりそうなると、特にほれ、放課後ちょっと残れとなんとか言われて、やっぱりやった人もいると思うからな。
菊地:
ああ、そういうこともやってたかもしれない?……吉乃鉱山のお子さんたちの話し方、話し言葉で、自分たちと違うっていう点とは、そういういい言葉とか悪い言葉とか感じてたわけですね? その他に何か、印象に残るような、たとえば……。
佐々木:
あの、私1回あの、対話のあれの時に都会から来た女の子と。話しした経験があるけども、やっぱりこの、自分が恥ずかしくなるっちゅうかなんていうか、あまりにも言葉がきれいだ、発音がきれいだし。まずは訛りも、ほら、やっぱりこう標準語の訛りでねえ、都会の方の人の話しでね、ほんとにこう、東京弁って言うんすか?いわゆる東京弁っていうの。……やっぱりそういう思い出あります。こっちと話するんでも向こうはぺらぺらぺらぺらしゃべるから(笑)
菊地:
それは皆さんにとっては、それを積極的に真似してやろうとかいう感じだったんでしょうか。
高橋:
うーん、それは。
佐々木:
そこまでは思わなかった。
菊地:
普通に上手だなあとかそう思ったぐらいで?
高橋:
うん。
菊地:
それでまあ、そういう吉乃の影響なんかもあったし、遠藤先生のご指導なんかもあったでしょうけども、この西成瀬地区のお二方と、それから他の、たとえば亀田とかの、同世代の人達とかと、子供の時ですね、とにかく亀田の子供と自分たちとでは話し方とか発音とか違うとか思いましたか。
高橋:
うん。それはあるしな。駒形の人達っていうのはやっぱりこう違う。ここの学校の生徒と向こうとは違ったさ(笑)はっきりわかること違ってた。うん。うん。
菊地:
それはやっぱりあの石をイシと言うかとか、そういうものででしょうか。
高橋:
だからして、ここも雄勝であったから、雄勝東部で、駒形から雄勝の人達と、おらも雄勝であったからな、一緒になって運動会なれ、なんなれしたもんだおんな。
佐々木:
亀田っていうところは、学区が別なんですよ、ここと。だから、そういう交流っちゅうのはあんまりなかったんです。子供同士の交流ちゅうのは。
菊地:
むしろ駒形と。
佐々木:
そうそう。
菊地:
駒形と同じ雄勝ということで。
高橋:
うん。駒形になっすえ。うん。
佐々木:
今はほれ、亀田は増田だし、私らも増田だし……私ちょっと感じたのは、その、西小の子供っちゅうのは、やっぱりたしかに、話をすることは、発音もいいし、話は上手だっていうけども、亀田の方の人がたってのは、話は下手だ、つまり荒っぽい話もするんだけど、やっぱりあの、なんか一つの問題について討論するなんていうと、やっぱり西小は負けたったんす。……言葉の体裁だけ考えて話するもんだから。
菊地:
ああ、逆に。
佐々木:
うん。向こうの方はそったことなくて、やっぱりこの非常に発言力が旺盛だし。ほんとに。
菊地:
ああ、亀田の方が発言力旺盛。それはおもしろい。体裁を考えないから。そうすると西成瀬の人達は、何を発言する前にもまず頭の中でいっぺん。
高橋:
一応ほら、言葉さ気をつけねばわかんねって。
佐々木:
そうそうそう。
高橋:
しゃべるに、思ったことこう出すのな。うん。
佐々木:
あれはやっぱり言語教育のちょっとした欠点なんだな。
菊地:
ああ、逆にね。なるほど。
佐々木:
だから、どっちがいいかってことになるね。
高橋:
(笑)
佐々木:
社会さ出たとき、どっちがいいかってことで。……たとえば、どこそこ町の町長さんだとか村長さんだとかがテレビさ出るときに、挨拶なんか聞くと、まるっきりもうズーズー弁で、どうしようもねえズーズー弁で、しゃべる人いるんですおんな。だから、あれとうちの方から出てる人の話し方を比べたら、言語教育受けてよかったなあと思うかもしんねえけど。やっぱりその、問題は、話の中身とは違うから。話してることの中身が、どっちがいいかっちゅうことになると、やっぱりそれは違うんです。必ずしも、西成瀬では立派な言葉で実のある話をするかってえと、そうでもねえ。
菊地:
なるほど。でもあの原稿があるものとか朗読とかだったらば。
佐々木:
そうそうそう。そういうのはね。
菊地:
駒形とは合同の運動会とかがあったとか。そのときには、たとえば応援するときの言葉なんか違うとかあるんでしょうか。
佐々木:
駒形の方は、駒形弁っちゅうのあるんだな。
高橋:
んだ。あの、「しょう」なんて言うな。
佐々木:
そうそうそうそう。
高橋:
誰でもよ、「しょう!しょう!」っていうの、いたな。
佐々木:
「君、君」ってのな。「しょう、しょう」。
高橋:
(笑)
佐々木:
そういうふうなの。……駒形弁っていうの。
菊地:
大人になって社会に出てから、自分たちの言葉遣いは、今のお話なんかだと、やっぱりより共通語的だという意識はあるんでしょうか。
佐々木:
まあ……今おたがいにこの地域の人がたが話してても、標準語でしゃべるなんてことはねえからな。
高橋:
(笑)
佐々木:
ただやっぱり、その仕事で実社会に出てそして役に立ったって話は、ずいぶんあるんです。おらえ(=私の家)にもあるし。それは他の人がたでも、もうずうっとやっぱりあったと思いますよ。不都合がねえってことはね。それはまず我々の子供らもみんなあちこちさ行ってんだけども、やっぱりそれは異口同音に言うからね。やっぱり西成瀬小学校卒業生は別だって言われてる。それはやっぱり。
高橋:
うん。
菊地:
それは他の地区の人なんかでも「ああ、西成瀬の人だなあ」とかわかるぐらい。
高橋:
うん。うん。
佐々木:
それはそうですな。
高橋:
それは、んだな。
菊地:
……それで、小学校時代、やっぱり授業中とか先生とすれ違うときとかは共通語でしょうけども、それが秋田弁の世界に戻るのはどういうタイミングで?
高橋:
(笑)
佐々木:
それなんだなあ……校門を出れば、後は方言だったな。
高橋:
なんとなくな。
佐々木:
その当時はね。それからだんだんにこう、西成瀬小学校が方言でなくて標準語っちゅうことで有名になって、それが美化されてきて、今は子供がたも、うちの子供も孫も、やっぱりうちでももう標準語です。うちでも標準語。ふだん生活してても標準語。だから、じじとばばしか(笑)方言使ってねえっちゅう。
高橋:
やっぱり、おらの子供たちから、そのな、言葉がいいとかってよ、全国的にこう……おらの時代はまだよ(笑)たしかに、それは遠藤先生から習ったども、まだそった有名ではなかったので。
佐々木:
うちの孫で今、高二の男の子いるんだけど、このごろようやく方言、話しするんだ。
菊地:
逆に。
佐々木:
うん、逆に。それは増田高校さ行ってるもんだから、増田高校はあっちこっちから、こう生徒が集まるもんだから、まあそれさこう同化しちゃうんで。
菊地:
なるほど。でもそれは、やっぱり西成瀬の方言とは少し違ったものを覚えてくるんでしょうねえ。
佐々木:
やっぱり我々もそれ聞くと「あれ、ちょっとなあ」と思うんだね。
高橋:
おらの子供たち、学校さ入れて、そうしてPTAとか来てみれば、その話ししてるの陰で聞いてるとな、立派だってえよ、わいたち入ってしゃべったことよりもよ、子供たちが話ししてるの聞くとよ(笑)、さすがに西成瀬だって言うな。他の学校では真似できねえような。そのときそう感じる(笑)、子供入れてから。
菊地:
……お二方にとって共通語の一番お手本になったっていうのは? もしかすると、さっきの話からすると、教科書よりも……吉乃の人達なんでしょうか? それとも遠藤先生ですか?
佐々木:
私の場合など、やっぱり同級生に非常にこう言葉遣いの丁寧な、そしてきれいな、それで話をするし、本も読むし、そういう子がいるっちゅことがやっぱり刺激になってます。おれだってやれるっちゅうその、その当時は、その時にはあれ、遠藤先生の教えを受けてあったから。だから真似すればできるってその、あれがあったんだと思う。まあそういうものが、やっぱり少しでも刺激になったっちゅうことはありますな。
菊地:
どうでしょうか、お手本。やっぱり同じように。
高橋:
うん。
菊地:
では、秋田弁と共通語を場合によって使い分けるっていうことについては、どう思いますか。
佐々木:
いや、私はそれ抵抗ありません。
菊地:
秋田弁の方は後世にこれから残しておきたいとお思いでしょうか。
佐々木:
それなくしちゃえば田舎でねくなっちゃう(笑)。
高橋:
(笑)
佐々木:
せば、どこが田舎だかって(笑)。
菊地:
やっぱり秋田の、あるいは増田の、西成瀬の文化ってのは、秋田弁が、そのことばがあるからと。
高橋:
うん。
佐々木:
やっぱり、そう思います。もうやっぱ今ほれ、どこそこの増田会とかいろいろ町村の出た人がたの集まりが、向こうの方で故郷会とかなんかある、そういうとこはまるっきりもう方言でやってるっていうか。だからどこにいる人がたもやっぱりその、方言で物を言いたくてうずうずしてる。
高橋:
かえって親しみが出てくる。うん。
――ここで方言と共通語の使用意識に関するアンケート調査を実施
菊地:
ありがとうございました。で、結局、方言と共通語はどちらの方がお得意ですか。
佐々木:
やっぱりあれですよ。方言の方。
高橋:
ああ。
菊地:
やっぱりものを考えるときは方言ですかね、頭の中は。
佐々木:
やっぱり……それはあれだ、だんだんにそうなるね。だんだんにこっちの細胞が抜けていくに従って(笑)やっぱり、昔のやつだけが残る。
菊地:
後から付けたものから。
佐々木:
だってめんどくせえおん。遠藤先生から習った言語教育はもうめんどくせくなっちゃった(笑)
菊地:
でもまあ、できると。いざとなったら。
佐々木:
なんてんだかなあ、あんまり試す機会ないから。
高橋:
(笑)
佐々木:
これあの、そこに町会議員さんがいるけど、そういう人がたはあれ、やっぱりほかの人がたからすればきれいだと思うよ、話しするとき。
【文字化:菊地悟】
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