標準語村の生成と展開
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北条常久(秋田市立中央図書館長)
1.標準語村(秋田県旧西成瀬村)

 平成の大合併によって、現在は横手市の一画になってしまったが、秋田県の旧西成瀬村の西成瀬小学校の卒業生は、澄んだ音声の標準語を話し、村は「標準語村」と呼称される。
 同校は明治16年に萩袋安養寺小学校として創立され、明治20年に現在地の(横手市増田町)萩袋字真当72番地に校舎をかまえた。さらに同22年に熊淵、荻淵、狙半内、吉野、湯野沢の各村が合併して西成瀬村が誕生したので、明治25年に校名が西成瀬小学校となった。その後、昭和30年、西成瀬村は増田町と合併して、西成瀬小学校は増田町立となった。

西成瀬小学校旧校舎

増田町立西成瀬小学校(2000年)
 この西成瀬小学校のある地は、かつては交通の難所ともいわれた。国鉄の駅から遠く、雪が深く、耕地は山にへばりつき狭く、貧しい村であった。
 秋田県人は、ズーズー弁といわれるが、口を大きく開かないし、舌の動きが滑らかでないので、シとス、チとツ、ジとズの区別がはっきりしない。寿司(スシ)と煤(スス)を区別して発音できない。
 東北出身の兵士が軍隊で「ススメ」を「シシメ」と発音して、「それでは軍は進めない」と上官から殴られたという話をよく聞く。
 殴られるぐらいはまだよいが、自殺に追い込まれることだってある。
 
73年4月、東京都大田区の寺の寮で、得度して仏教系大学に入学したばかりの秋田県出身の男性(24)が自殺した。1週間ほど前に上京したが、強いなまりを気にして悩んでいた。
 電話の応対や友人との会話が苦手で、周囲には「言葉で苦労している」とこぼしていた。ほかの寮生が、夜桜見物でにぎわう寺の警備に出ている間に、男性はひとり命を絶った。
 当時寮生らの指導担当だった僧りょは今の男性の命日に供養を欠かさない。「確かに、話すのがおっくうそうで気にはしていた。が、あまりにも突然の出来事。やりきれなかった」と、ため息をもらす。(「毎日新聞」平成8年8月24日)
 
 そんな中で、西成瀬小学校の卒業生は、「シ」と「ス」を区別して発音できるし、母音をはっきり発音する。
 西成瀬小学校の卒業生は、進め(ススメ)とはっきり発音する。彼等は、兵役を終えると、おかげで殴られなかったと学校にお礼に行ったという。
 西成瀬小学校の卒業生は、東京に行っても言葉で困ることはなかった。東北出身者の多くが、東京で商店に勤めても電話におびえ、客との応対に不自由していたが、彼等はそんなことはなかった。彼等は西成瀬小学校で、話しことば一般についても指導を受けてもいるので、自分達の発音が他地域でも通じるということを知ると、自信を持って他者に話しかけて行くようになる。閉塞感の強い東北地方の中で、彼等の積極的生活態度は際立っている。
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