明治以前の藩体制では、日本全体を視野に入れた話しことばは必要なかった。
しかし、近代国民国家を形成していくためには、広く国中に通ずる共通語がぜひ必要であった。教育の普及にはもちろんであるが、社会も自由民権運動、言文一致運動を推進するために国民各層に通ずる話しことばを必要とした。
文部省は、明治33年4月に、前島密を委員長とした国語調査委員を任命し、国語の研究と改良を目ざした国語調査委員会の発足を準備した。
そして、明治35年4月には、正式に国語調査委員会が発足し、5月には次のことを決議した。
1 文字ハ音韻文字ヲ採用スルコトトシ仮名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト
2 文章ハ言文一致体ヲ採用スルコトトシ是ニ関スル調査ヲ為スコト
3 方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト |
一方では明治33年8月21日に、小学校令施行規則が設定された。それまでの「読方及作文」と「習字」は一つにまとめられて、「国語」に統合され、「話シ方」が次の表のように教育の中に初めて位置づけられた。
第四号表
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毎週授業
時数 |
第一学年 |
毎週授業
時数 |
第二学年 |
国語 |
一〇 |
発音
仮名及近易ナル普通文ノ読ミ方、書キ方、綴リ方
話シ方 |
十二 |
日常須知ノ文字及近易ナル普通文ノ読ミ方、書キ方、綴リ方
話シ方 |
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毎週授業
時数 |
第三学年 |
毎週授業
時数 |
第四学年 |
国語 |
十五 |
日常須知ノ文字及近易ナル普通文ノ読ミ方、書キ方、綴リ方
話シ方 |
十五 |
日常須知ノ文字及近易ナル普通文ノ読ミ方、書キ方、綴リ方
話シ方 |
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このように国は次々と国語、わけても話しことばの標準語化を進めていった。
これに呼応して、秋田県でも標準語教育には熱心であった。小学校令施行規則が発布された年にはすでに秋田県師範学校教諭の小泉秀之助が『東北地方教科適用発音と文法』(東海林書房、明治33年3月27日)を刊行している。
この書の「例言」には次のようにある。
本書は著者が宮城県中学校及び秋田県師範学校等にありて、親しく教授せる草案を基本とし、加ふるに発音学の原理に訴へて編述せるものなるを以て、中等学校の初年級、小学教員の乙種検定、并ら高等小学校の生徒用として一顧の価値あるべしと信ず。 |
同書は口形図を掲げ、秋田方言を正そうとしたもので、秋田の小、中学校の教師は、この時すでに発音指導の必要性を学んでいたはずである。
しかも、この本の出版元・東海林書房は、遠藤熊吉のお膝元・秋田県平鹿郡増田町であった。
しかし、秋田県のズーズー弁は一向に改良されなかったようだ。
明治41年の秋田県森知事の秋田県教育基本方針には次のごとくある。
本県の初等教育たる近来一般に進歩の跡を認めたりといえども、教授上においてはなほ発音の不良・読書力の不足・算数理化学の不成績等深く遺憾とする所なり。 |
秋田県は常に標準語を求めていた。明治時代の悩みは昭和に入っても同じであった。ここに昭和6年10月の『秋田県地方適用言語教育教科書』(秋田県教育会)がある。
これは中学生向きの教科書であるが、それはあくまで音声学にのっとった理論書であった。
この書が秋田県の中学生の実際の役に立ちそうにない。 |
『秋田県地方適用 言語教育教科書』 |